元山兄弟の歩み
1965年:【祖母・祖父】モトヤマ和裁学院 設立
2004年:【巧 (父)】が社長着任
2011年:【巧大 (兄)】香川で和裁修行
2013年:【巧大】モトヤマ和裁学院 入社
2013年:【誠也 (弟)】美容学生として上京
2013年:モトヤマ和裁学院 倒産
2013年:【巧・巧大】古粋合同会社 設立
2014年:【巧大】古粋合同会社を退社し、カーディーラーへ転身
2018年:【巧大】カーディーラーを辞職し上京
2019年:【巧大・誠也】巧流合同会社 設立
2024年:巧流合同会社、古粋合同会社を吸収合併
元山家と和裁のはじまり
私たち元山兄弟は、代々和裁技能士を輩出してきた家系に生まれました。
1965年、祖母を中心に長崎県佐世保市で設立された「モトヤマ和裁学院」は、和裁の下請け業務を担うと同時に、和裁技能士を育てる訓練校でもありました。
祖父は「全国和裁着装団体連合会」第13代会長を務め、学院は最盛期には九州で4校を構えるまでに成長します。
当時は着物が日常着として親しまれており、和裁技能士は社会に欠かせない存在でした。モトヤマ和裁学院は、まさに時代の流れに乗った事業だったのです。
父、巧の奮闘と倒産
父、巧は東京で5年間和裁修行を積んだのち、地元・佐世保へ戻り、モトヤマ和裁学院で教鞭を執りました。
2004年には社長に就任し、家業を背負うことになります。
しかしその頃すでに、着物需要は急速に落ち込み、海外縫製の増加も重なり、経営環境は厳しさを増していました。
約3億円の負債を抱えながら、父は10年間、必死に経営再建に取り組みましたが、すべてを返済することは叶わず、2013年、モトヤマ和裁学院は倒産という決断を下します。
兄、巧大の和裁技能士としての選択
話は少し遡ります。
2011年、高校を卒業した兄・巧大は、香川県へ和裁修行に出ました。そこで技術を磨き、2級和裁技能士の資格を取得します。
2年後、父のもとへ戻った巧大でしたが、待っていたのは家業の倒産でした。
それでも和裁を途絶えさせまいと、巧大を代表に父と共に「古粋合同会社」を設立し、弟子たちとともに細々と仕立ての下請け業を再開します。
しかし現実は厳しく、仕立て料は下がり続け、仕事の数も減少していきました。
巧大は次第に、和裁業界の未来に限界を感じるようになります。
悩んだ末、父に相談すると返ってきた言葉は、
「今のうちに、別の道に進んだほうがいい」
というものでした。
父自身も、業界の先行きに希望を見出せずにいたのかもしれません。
巧大は和裁の道を離れ、カーディーラーへ転身する決断をします。
弟、誠也の想い
その頃、東京で美容学生をしていた誠也は、巧大が和裁技能士を辞めることを聞きつけすぐに長崎へ飛び、巧と巧大を誘って飲みへ出かけました。そこで誠也は二人に思いを伝えました。
「和裁業界を牽引してきた”元山”が和裁から退けば、和裁業界が激しく衰退してしまう。それじゃあダメだ。俺はそれをなんとかしたいと思っている」と。
それから誠也は、巧大に上京してほしいと伝えました。ですが巧大はカーディーラーへと転身したばかりで「実績も残さないと納得いかないから、3年待ってほしい。」と言いました。
そして3年後、巧大は九州1位の実績を残し、上京することになりました。
巧流合同会社と「巧流 -call-」の誕生
東京で再び合流した兄弟は、二人で街を歩き、さまざまな人と出会い、無数の価値観に触れながら問い続けました。
「自分たちは、和裁のために何ができるのか」たどり着いた答えは、
“着物ブランドをつくる” という選択でした。
和裁技能士に光を当て、和裁の未来を明るくするには、まず「着物を着る人」を増やす必要がある。
そう考え、日常で自然に着られる着物の開発に取り組みます。
1年間の試行錯誤の末、導き出したブランドの方向性は以下の3つでした。
- 1分で着られ、着崩れしにくい着物
- 洋服生地を用い、洗濯ができる着物
- 洋服と合わせられる、現代のライフスタイルに馴染む着物
この思想を軸に、2019年「巧流合同会社」を設立。
カジュアル着物ブランド 「巧流 -call-」 が誕生しました。
これからの巧流
和裁家系に生まれた元山兄弟による、着物と和裁の改革への挑戦は、ようやくスタートラインに立ったばかりです。
私たちはこれからも挑戦を重ね、着物の在り方そのものをアップデートし、新しい時代の「着物文化」をつくっていきます。